自己紹介を書いてみる part2(18歳〜22歳 大学生編)
以下の記事の続きになります。自己紹介というより、ただの思い出徒然といった感じなので、読む必要はないです。2022年に途中まで書いて下書きのまま忘れていたものを2024年11月11日に追記して投稿です。
すっごい記憶を思い出しながら書いているので、時間軸ずれてるものももしかするとあるかもしれません。mixi見ながら書いてます。mixiありがとう!!!
大学生なんて特に書くこともないだろうと思ったんですが、やっぱり4年というのは相当長いもので、サークル作ったり、バイトの身ですが新規事業起こしたり、フリーランスとして起業したりしているので、意外と長文になってしまいました。大学生なんて、学校行って、バイトして、サークルで遊んで、それぐらいだった気がしていたのですが…
18歳 大学1年生
いわゆる普通の大学生を徳島大学で送っていました。唯一普通じゃないのは「夜間主コース」なので、授業は18時から21時だけ、というところでしょうか。
1日2コマで卒業出来るの!?という驚きがありましたが、出来るんですよ、ギリギリですが。卒業までの間に6単位(3科目)ぐらい落とすと留年が決定する、超ギリギリの単位構成です。なので私の大学の成績表を取り寄せると単位数の少なさが目立ちます笑。
さすがにそんなギリギリは怖いので、昼間の授業も取れるものはいくつかだけ取ってました。
1年生の頃は特段何も面白いことはしていなくて、バイトも4種だけしていました。あとサークルを作りました。
- パソコンショップのバイト(地元密着ローカル店舗)
- スーパーのバイト(生協)
- パソコン講座のバイト(大学生協・通期)
バイト以外はあまり記憶にない、単に勉強して、レポートやテストを書いていただけ、一般的な大学生だったので、バイトについてだけ書きます。
パソコンショップのバイト
バイト先まで自転車で30分(遠いなオイ)、午前中はOA機器のフロアを担当していました。レジ、品出し、接客など全てですね。なにせ売ってるものはコピー用紙とかそういうものなので、新大学生でもなんとかなるものです。
一回品出しの際にミスをしてしまって、バンバン段ボールを開けて行ってたらその中に段ボールの中がそのまま商品(レーザープリンターのトナー)ってことがあって、「あっれやばい商品箱開けちゃった」ってなったんですが、パニクって、「まぁいっか…」となぜか思ってしまいそのまま陳列しちゃったんですが、数十分後にすぐ正社員の方が気づいてくれて、叱ってくれました。「ミスするのは全然良いけど、すぐに報告するんだよ」と。初めての(公文式以外の)バイトだったので報連相さえ分かってなかったんですよね。しょうもないミスではある、やりがちそうなミスではあるんですが、未だにこのミスは記憶に残っています。
発注数と納品数の差のチェックとか、色々やらせてもらっていて、お客さんが居ないときはひたすら品出し・チェック・掃除、居たらレジでおとなしくする、なにか聞かれたら担当フロアなら答える、別フロアなら案内して別のスタッフ(正社員)に引き継ぐ、バイトにしては裁量大きくさせてもらっていたように思います。しかもバイト歴0ヶ月時点からですし。
途中から、午後からパソコンの裏方的な仕事を担当するようになりました。(午後からはOAのフロアは別のパートさんが来てくれていたため)
裏方では主に以下のことをしていました。
- お客様から買取したPCに内蔵のハードディスクに3回ぐらい0を書き込む
- 物によってはハードディスクをひたすらトンカチで叩いて割る(廃棄のため)
- 修理依頼のあったもの、買取依頼のあったものを分解、清掃(デスクトップパソコンに限る)
- WindowsXPをクリーンインストールする(待ち時間が暇なので、何台も並列作業)
- 買取→清掃→パーツ入れ替え→初期セットアップ→中古PCとしてパソコン売り場に運ぶ
とても18歳、バイト経験0ヶ月なバイトがやる仕事じゃない気もしますが、裁量を持ってやらせていただいて非常にありがたかったです。
途中昇給もしていただきましたし、評価して頂いていた、親切にしていただいていた、本当にお世話になった職場でした。
ありがとうございました、ジョイメイトさん!
2024年現在も地域密着ショップとして健在なのです。
そして私の問題点、弱みだと思うんですが、このバイト半年と立たず辞めてしまっているんです。本当に申し訳ないです。
辞めた理由はシンプルに2つ。
- 仕事が完全にルーチンになってしまって感じられる面白みが減った
- 通勤にかかる時間が長い(自転車で通うには暑くて汗だくになる)。授業に出られる時間がギリギリになってしまう
日々、目標に向かってなにか機動的に動くというのは得意・好きだと思うのですが、「ずっと同じことを毎日続ける」というのが苦手なのです。
スーパーのバイト
クラスメートがスーパーでバイトを始めたので、なんとなく誘われてやってみたのですが、3ヶ月しか続きませんでした。毎日9時から17時までレジに立ち、ずっとレジをするだけ。私は爆速で飽きてしまいましたね…
3ヶ月間1円の誤差もなくレジの仕事を完遂できたのが唯一の取り柄じゃないでしょうか。
9時-17時のバイトって、年配の主婦の方々とお客様が居ないときに通路挟んで少し会話するぐらいしか、レジ打つ以外のすることがなくて、とても退屈でした。
パソコン講座のバイト
パソコン講座のバイトを次に始めました。パソコン講座といっても、街のパソコン教室ではなくて、「徳島大学生協」が運営する、大学1年生向けのパソコン講座です。
教える内容はノートパソコンの電源の入れ方から始まり、PowerPointやWord, Excelを使ったレポートの書き方等までを、上期講座、下期講座で毎週1コマといった形で実施するものです。
バイトスタッフは全員大学2年生以上、講座の元受講生の一部が2年生以降でそのままスタッフになっているケースが多かったです。
私の場合はパソコンを普通に使うぐらいは支障もなく出来たので、大学生協で応募、そのまま1年生講座の下期からスタッフとして入りました。
スタッフの仕事は多岐にわたり、大学生がするバイトにしては、裁量が非常に大きかったです。
- 通期カリキュラムの策定
- カリキュラムに沿った教材(PowerPoint資料やテスト等)の作成
- カリキュラムをスタッフ誰でもが教えられるようにする教育マニュアルの策定
- 実施講座のグループティチャー(テーブルごとに付く、8人の生徒を持つ講師役)、講師役(1コマに対して1人、講師役のファシリテーションや講義の元各グループティチャーや生徒が動く)
- 講座実施後の振り返り(PDCA)
- 通期カリキュラム完了後、スタッフ勧誘
基本的に「パソコン講座」は全て大学生のスタッフで行っていて、これはもう本当に全てでした。もちろん、先輩スタッフ(大学生)があってこそですし、責任者・監督者として、大学生協の担当社員が1名、パソコン講座に付いてくれています。ただしあくまで監督者であり、何かその人がリードをする、学生スタッフをマイクロマネジメントするということはなく、「学生を陰ながら支える」といった存在として居てくれていました。
このバイトは大学卒業までずっと続けることになりました。カリキュラムも毎年ブラッシュアップしますし、スタッフも毎年入れ替わる(4年生はいなくなり、新しく新1年生が2年生になったタイミングでスタッフとして入ってくる)ので、常に新鮮でした。
時にはカリキュラムの大枠は決まっているけど、実際の講座で使う資料が前日に出来上がっていないといったことも多々あり、夜遅くまで皆で会議をしながら、スライド資料などを作ったりしていました。ホワイトボード、付箋、パソコン、常にこの3つをスタッフのみんなで囲んでいたものです。
サークルの立ち上げ
なんとなくサークルを立ち上げました。すごくイラストが上手い友達がいて、その人の絵なら良いアニメを作ることが出来るんじゃないか、と思って3名で立ち上げ、その後色々な人巻き込んで数十名の大所帯になりました。
こういうアニメを作れないか?って友達と盛り上がったんです。
新海誠ファンでした。(今も好きですが)
絵コンテボックスもあってアニメ制作を考えるのにとても参考にもなったのです。
友人が描いた、きっかけとなった絵はこちら。
同好会設立は5名+顧問の先生が必要だったので、情報工学科の先生に顧問になってもらって、とりあえず5名名前だけでも集めて、書類書いて提出して同好会設立。
ちょうど「オカリナ同好会」が廃部になって部室棟に空きが出ていたので、オカリナ同好会だった先輩に頼んで部室を譲ってもらい、部室を確保。アニメを作るのにパソコンが必要、でもパソコンだけあっても仕方がないので、「パソコン部」の方々に交渉をして、有線LANケーブルを彼らの部室からデジタルアート同好会の部室まで引き回して、インターネット環境をゲット。
5名じゃ寂しいよねーっていうところで、大学生協のバイト経由やパソコン部の方々などが掛け持ちで同好会に沢山入ってくれて、無事、サークルに昇格しました。
2006設立、今2024年なので、18年はたった今でも健在のようです。
https://www2.hp-ez.com/hp/tdigital-art/
なお、私はイラストをアニメ化する部分を担当しよう、とサークル設立時話していたのですが、結局「イラストを描く」部に結果的になってしまったので、あまり役には立ちませんでした。自身の功績としては以下だけになるでしょう。
- サークルを作ったこと(部員集め、先生集め、部室確保)
- サークルの活動方針を作ったこと(五月祭と呼ばれる学内イベントに何を展示するか、など)
- それらを1–2巡やって、後輩に引き継いだこと
自分は1枚トレースで下手な絵を描いただけでしたね笑
19歳 大学2年生
何か新しいことをした記憶があまりありません。必修かつ合格率が半数程しかない難しい微分積分の単位を取ろうとしていた気がします(この単位だけが原因で卒業できない人が結構いる授業だったのです)。
バイトとしてはパソコン講座のバイトを続けていたのと、それとは別に、冬の間だけは「大学生協」のバイトもしていました。パソコン講座が大学生協の運営だったのでその流れで、「新入学生向けの大学生協事業」で働かせていただいてました。
新入学生向けの大学生協事業
期間も限定されている、裁量があるというわけでもないバイトなのですが、「新入生に対してすでに通っている先輩学生として語る」事で新入生を支援しようという事業で、面白かったです。
具体的に提供していたのは以下の3つ。
- 不動産紹介
- 家具家電の販売
- パソコン及びパソコン講座の販売
新入生が来店をしたら、その方になるべく近い(学科が一緒、もしくは学部が一緒など)スタッフが担当に付き、不動産紹介から行っていく形でした。
「2年生まではこっちのキャンパス、それ以降は別のキャンパスの授業が多くなるのであまりこのキャンパスへの徒歩距離は気にしないほうがいいですよー」とか、「予算それだけ奨学金から出すとバイト結構しないといけないですよ、バイト時給これぐらいなのでもう少し予算抑えたほうがいいのではないでしょうかー?」とか、大学生目線で紹介していく感じです。
※もちろん不動産契約は資格を有している生協職員が行います。
家具家電の販売も似たような感じですがもっと簡単に「カーテンは1級遮光がいいですよー、やっぱり透けるのは不安ですし」とか、大学生協グループで一括仕入れなので他で買うより安い商品もありますよ、冷蔵庫はこれぐらいのサイズで十分ですよ、とかそんな感じです。
「パソコン及びパソコン講座の販売」の部分だけはパソコン講座のスタッフが行っていて、私はこのときはパソコン講座のスタッフとしてではなく、新入生向け事業のスタッフとして働いていたので、パソコン講座のスタッフに付いている学生を引き渡して、横で話を聞く感じでした。
ただやはりパソコンは非常に高価ですし、パソコン講座もセットで買うと30万は余裕で超えてくるので、非常に説明に時間が掛かるので、パソコン講座スタッフが全員埋まってることもよくあり、そういうときは自分で説明していました。
日によっては新入生向け事業のスタッフのシフトには入らず、かわりにパソコン講座スタッフの方のシフトに入って、パソコンと講座の説明をしていたりしました。
結構このときに感じたのが家電量販店の酷さです。「安かろう悪かろう」をすでに売りつけられている・買っている学生や、検討中の学生が多くて、「Microsoft Office入ってないパソコンこの人買ってるけどレポートどうするの…?」「え、メモリそんな少ないCeleron搭載マシンでマジで4年間使うつもり?」みたいに思う機会が多かったです。
稀にはMac既に持っています、Officeも購入済みです、みたいな人とか、自作パソコン組んでるので要らないです、みたいな人もいて、そういった人は安心だったのですが、「どうせ大学生協のパソコンなんて高いんでしょ」っていう決めつけで、「安かろう悪かろう」なパソコンを買って、その後使い物にならず、学校のパソコン室でレポートを書く羽目になる、もしくはOEMじゃないMicrosoft Officeを追加で買う(高い!)学生も多かったです。
新入学生(未入学)な高校3年生な方々が入学したら、このバイトは終わり。今度は自分たちで売った「パソコン講座」の運営のバイトがまた始まります。
パソコン講座のバイト
特にすることが変わるわけではないんですが、2年生になり、自分と同い年のスタッフも沢山入ってきて(全部受講生等からのリファラル採用!)、わちゃわちゃと楽しかったですね。
工学部 情報工学科 夜間主コース って10名弱しか学生が居ない、クラスメートが10名弱という、あまりにも人と出会う機会がないクラスだったので、バイトが唯一の他の学生との接点でした。
不動産屋のバイト
これはわりとどうでもいいやつです。不動産屋でバイトしてた先輩が卒業が近くなってきたので誰かに引き継ぎたいということで、引き継がせてもらいました。
1日1−3人ぐらい来客があって、それの取次か、家賃の支払いの受取をするだけのバイトだったので、本当に楽でした。このバイト時間の間にレポート書いたり、パソコン講座の仕事(資料作り)をすることが出来たので、とっても時間をいい感じに使えてよかったです。
※仕事中に別の仕事をしているようなものですが、許諾を得ていました。
20歳 大学3年生
3年生で何をしただろうと振り返ると、たぶん次の3つの事を新たに始めています。
- パソコン講座の夏季特別講座の企画〜実施
- パチスロ(スロプロごっこ)
- サマーインターン + 就活
パソコン講座の夏季特別講座の企画〜実施
今までは1スタッフとして「先輩が培ってきたもの」をやっていたのですが、ちょうど初級シスアドがITパスポート試験に変わって難易度が落ちてきたこともあり、「ITパスポート試験資格取得 夏季特別講座」というのを企画しました。
企画書を書いて、大学生協の担当職員にプレゼンして、「やってみなよ」と言っていただいて、いろいろな過去問や参考書をベースに講座を作り、100名〜200名ぐらいの教室を、夏休みの間借りて、講座+宿題をしていました。
このときの講座は「過去のパソコン講座の受講生」を見込み顧客・リードとして、メールやリファラルというか普通に対面営業で販売をしていき、数十名(100名はいないが、20−30名よりは多い)の方に購入を頂いて、授業に参加してもらいました。
先生も、宿題作るのも、カリキュラムや資料作るのも、全部1人って感じでしたが、幸い夏季休暇、暇だけはたくさんあったので、家で作業して、学校で教えて、という感じで実現できました。
結果的にそこそこな人数の人がITパスポート試験に合格した(そこそこな人数の人はそもそも試験を受けなかったりもした)ので、初年度実施にしては悪くなかったと思います。
パチスロ(スロプロごっこ)
時給400円相当でした。一応、負けてはいなかったと。
基本的に天井狙い、設定狙いの後ヅモ、翌日設定狙い据え置き(ガックンチェック)とかでした。
大学の先輩などだとパチスロで単位を落とす(テストに行かずにスロットを打つ)人も一定数いたので、大学生にとって良くない趣味だと思います。
なお、家にパチスロの実機を2–3台置いていました。所有していたのは黒歴史のmixiを漁った限り確実なのはこの3台。あと1–2台買って売った気がするんですが忘れました。
・新世紀エヴァンゲリオン~まごころを、君に~
・リングにかけろ
・戦国無双
すごく場所を食うので上京前に手放しましたが、どう手放したのかも思い出せません…ヤフオクかな…
「ゴトだ!」「遠隔だ!」みたいな事を言う人が沢山いる中、「パチスロ機とはソフトウェアで出玉制御が行われており、そのパラメタを変えるのは設定であり、設定は設定キーを用いてのみ変更可能である。それ以外の介入は行えない」ということを自宅で確かめることが出来たので、パチスロの実機を買ったこと自体は悪くなかったかなと思います。
サマーインターン + 就活
楽天グループ株式会社(旧:楽天株式会社)のサマーインターンに参加させていただきました。東京に1週間ほどホテル住まいして、インターン生同士で期間中は色々議論しましたね。
インターン自体は実際の業務に関わるものではないので、勉強させていただいたという表現が一番近いです。今何か思い出せるかというと流石に15年前なので何も思い出せないのですが、とにかくお世話になったなと。
就活は3年生の12月から始めました。選考を受けた企業は以下の6社。
- 楽天株式会社
- 株式会社NTTドコモ
- ソフトバンク通信系3社
- 富士ソフト株式会社
- 株式会社ダイナム
- 株式会社SANKYO
楽天が内定、ソフトバンク3社は最終面接落ち、富士ソフト・ダイナムは2次面接を辞退、NTTドコモは1次面接落ち、SANKYOは書類選考落ち。
ソフトバンクは途中までは「インターネット企業のSoftBank」という感じの面接でしたが、最終面接(もしかしたら3次か4次だったかも?)では急に「日本テレコム」みたいな雰囲気でした。話がうまくかみ合わず…
富士ソフト・ダイナムは選考の途中で楽天㈱から内定が出たため辞退。NTTドコモは1次面接で「こういう新しいことをしてみたいんです!」という話をしたところ、「この会社では新しいことは出来ないんだよ」というのを1時間みっちり面接官に教えていただいて、お見送り頂いたのを未だになんとなく覚えています。面接というより愚痴を聞いた会みたいな…
2024年になってみても思いますが、この受けた会社の中で「インターネット企業」は楽天だけであり、ドコモとソフトバンクは通信系、富士ソフトはSI、ダイナムはパチンコ屋さん、SANKYOはパチスロ・パチンコ機メーカー(組み込み系開発?)。自分の趣味嗜好としては楽天に入って良かったなと思います…笑
楽天・ソフトバンク・ドコモなどの企業が面接まで行くのに対して、SANKYOの開発職に書類で落ちるというのが当時(今も)不思議でした。田舎の大学とはいえ、国立大、情報系、初級シスアド持ち、書類で落ちる気はしないのですが…
当時就職氷河期(ずっとそう言われている気もしますが)で、先輩や同期には内定取り消しに合った方も数名見受けられたので、本当に内定頂けて無事入社させて頂けて良かったなと思います。
当時のメール(Gmailありがとう!)を掘り返したら、結構痛々しいパワーポイント資料も出てきました。3次面接用の資料らしいのですが、使う機会あっただろうか…笑
※楽天のロゴは本来勝手に使ってはだめです!学生がto楽天社に対して勝手に使った資料…
当時、勝間和代さんの本流行ってましたねぇ…
21歳 大学4年生
ここから先は過去にもどこかで語ったり書いたりした記憶がありますが改めて。基本的に「iPhoneアプリ開発にフルベット」の1年でした。
パソコン講座のバイトだけは継続していました。
- 大学四年生としてギリギリの単位にハラハラ
- 学士論文
- iPhoneアプリ開発
大学四年生としてギリギリの単位にハラハラ
「夜間主」コースだったので本当に単位数が卒業に対してギリギリで、1個も落とせない!緊迫した1年でした。1個でも落とすと留年確定、内定取り消しですからね。実際、卒業時の単位数は卒業に必要な単位数を1超えているだけでした。
学士論文
Ruby on Railsさん本当にありがとうございました。
なぜか学士論文をDBから見つけられないのですよね。3年生の時のは出てきたのですが。
3年生の時のものはiPhoneをタイムカードとして使おう!みたいなもので、なぜかソケット通信でイントラネット内のサーバーと通信して、勤怠記録を取るアプリを作ってました。なぜhttpを使わなかったのか未だに分かりません….
学士論文では GitHub Codespaces みたいなやつを作ってました。※あくまでみたいなやつ
4年になると研究室に属するのですが、環境構築に躓いている人があまりにも多かったんですよね。4年生だけでなく修士1年の方でも全然散見されました。それだけ開発環境構築が当時難しかったんだと思います。
なので自分の学士論文は「環境構築不要な、オンラインエディタ・コンソールでプログラミング出来るWebサービスで、授業の学習効率を上げよう」みたいな論文でした。
実際にはRuby on Railsのコード自動生成でサービスは殆ど作っていて、内部は当時はDockerやLXCもまだ無かったので、ひたすらRubyでKernel.#systemをしまくっていただけでした。
ひたすらブラックリスト形式で、コンソールに入力される記号や単語などを弾いてなんとかセキュリティを担保しようとしていましたね。
ユーザーごとにファイル保存フォルダが分かれているだけの、共有型レンタルサーバースタイルのシステム構成でしたので。
この学士論文があったから自分はRuby on Railsを習得できたのだと思います。Rails2系ですね。
インフラに関しては高校生の頃にレンタルサーバー屋さんをしていた時の方が学びが多かったと思いますが、Sider社につながる、IaaSやPaaSの概念はこの頃から触っていたと思うと、人生繋がっているなと思います。
iPhoneアプリ開発
当時iPhone 3Gが日本で発売されました。これは絶好の機会だと思い、すぐにiPhone 3Gを買い、また3GSが出たときには3GSもすぐ買いました。
パソコンは当時MacBook KUROを持っていたはずですが、初代MacBook Airに買い換えた記憶もあるので、このときには既にAirだったと思います。
MacBook KUROはマットな質感でとても所有欲が満たされるMacでした。
iPhoneアプリ開発はスティーブ・ジョブズが封筒から出したことで有名な初代MacBook Airで行っていた、と思います。
iPhoneアプリは思いつくままに開発していましたが、最初に作ったのは「DekaMoji」というアプリです。
↑当時のDekaMojiを紹介してくれているサイト。
今は全てのアプリが非公開になっています。
基本的に「自分がガラケーでやっていたけどiPhoneに買い換えたら出来なくなったこと」をiPhoneに移植した感じです。課題ドリブンとも言えますし、ある種のタイムマシン型とも言えます。
このDekaMojiは開発にかかった時間は1日でした。当時、インプレッション型アドネットワークをインストールしたところ、毎日数百円ぐらいは貰えるぐらいになりました。時給換算したら通期ではとんでもないことで、「これはアルバイトよりも確実に良い!」と大歓喜しました。
楽天グループのトラフィックゲートが提供する「TG AD for iPhone」が当時最初に入れた広告SDKでした。
1インプレッション当たり1円貰っていたような記憶があります。上記記事に出ている『「最低でも0.5円ずつの収入がある『出血大サービス』中です」というトラフィックゲート 梅澤亮氏』とは2024年の今も交流がある、お世話になっているので、縁は繋がるものです…。
今や遠い人感もなくもないですが、AdMaker(ノボット社)のSDKもほぼ初期に入れたアプリベンダーでした。
あとはAdMobやiAD、特にAdMobにはお世話になりましたね。
そのほかの代表作としては、以下などがあります。
- 電子コンパス for iPhone 3G
- マップ for iPhone 3G
- カーナビっぽい
この3つは全てソースコードはほぼ同一です。今となっては考えられないことですが、iPhone 3Gには電子コンパスが搭載されていませんでした。iPhone 3GSで初めて電子コンパスが搭載されました。
しかし、電子コンパスだけでiPhoneを買い換えるほどの価値はありません。「電子コンパス for iPhone 3G」は「アプリを起動したまま一定距離を真っ直ぐ歩いたら緯度経度の差異によって今向いている方向を表示する」というアプリです。iPhone 3Gユーザー専用のアプリですね。
「マップ for iPhone 3G」も似たようなもので、Apple MapやGoogle MapはiPhone 3Gでは回転しませんでした。今向いている方向に向かって回転してくれるMapがiPhone 3Gユーザーには欠けていたのです。それを満たしたアプリです。ソースコードは「電子コンパス for iPhone 3G」とほぼ一緒で、回転させるものをコンパスの画像から地図に変えただけです。
「カーナビっぽい」もまたソースコードは「マップ for iPhone 3G」とほぼ一緒です。ただ車のダッシュボードに置いておくように見た目を最適化しました。また、行き先を設定し、そちらに対して矢印を出すようにしました(Not経路案内)。あくまで「カーナビっぽい」です。
『「カーナビはいらないけど、あるとカッコいいな」みたいな方に使っていただきたくて作ったアプリです。無料なので、とりあえずダウンロードして、起動してみてくれると嬉しいです!』とアプリ説明に書いているとおりのアプリでした。
iPhoneアプリはどれも無料で出して、有料版は広告なしのものを用意しただけでした。基本は広告収益でした。また、ユーザーの獲得方法が当時は「検索(AppStore内SEO)」か「ランキング」の2つ、もしくは雑誌やWebからの紹介に限られていました。あとは広告ですね。
そのため、AdMobに広告を出し、ランキング流入を一定保つようにしていました。そうすることで、新規ユーザーをランキングからも獲得出来るのでCPI(Cost Per Install)が安かった、Payback Periodが短かったです。稼いだ広告費で広告を出しユーザーを増やし売り上げを上げていくスタイルでした。
「電子コンパス for iPhone 3G」「マップ for iPhone 3G」はアメリカのAppStoreのランキング上位をキープしていましたし、「カーナビっぽい」は日本のAppStoreのランキングNo1を取りそうな位置に一瞬いました。
ええ、あと少しで1位いけそうだったんですよ!でも突然ドラえもんが16個降ってきてランキング下位にたたき落とされました。
Yahoo!JAPAN!私のAppStore一位の夢を…返して…
(私の人生は結構Yahoo!JAPANに左右されているので、因果は続くものです…
この章だけ長くなってしまいましたが、とにかく「スロプロやってました」よりも語りたいことが沢山あるぐらいに、iPhoneアプリ開発にのめり込んだ一年でした。
iPhoneアプリ開発についてはSlideshareの古い投稿を見て貰えるとより詳細が分かると思います。興味がある方がもしいらっしゃればですが。
大学生編 おわり
書き始めから書き終わりまで2年以上かかってしまったのでここら辺で終わりにします。ざっくり、大学生時代の自分を振り返ると、自分への影響度が大きかったものとしては以下の3つだったと思います。
- 大学生協でのパソコン講座のバイトでの企画、ファシリ、Officeシリーズの使い方のマスター
- Ruby on Railsを用いた開発の経験や習得 or スロプロ風生活
- iPhoneアプリの企画、開発、マーケティング、収益化の成功体験
今はiPhoneアプリも作っていませんし、パソコン講座の先生もしていないですけれども、どれも今のキャリア、ケイパビリティを構成する一つの要素であり、欠かせないもので合ったと思います。(スロットは無くても良かった)